松田辰雄八段についてまとめた『不撓』を出してから一年経った。
随分と昔のように感じる。
2月29日には刊行記念のイベントを行ったのであるが、開催できたのも運が良かったと今は思える。
ほとんど研究発表の場になってしまったが、参加者の鋭い質問も多く、とても楽しい時間を過ごせた。
心置きなく戦後黎明期の将棋話ができる空間を、また共有したいものである。
さて、イベントの際、棋譜を掲載するにあたって私とけんゆうさんでは主義が違う、との話になった。
当時の観戦記では駒が成不成を省略して書かれていることが多く、そうした棋譜を収録するにあたり、
「原本記載通りに載せた方がいいのではないか」
と私が主張したのに対して、けんゆうさんが
「不成をつけない棋譜は今は棋譜にならない。成不成がついていない観戦記は、棋譜として成立させるために成不成どちらか妥当なものを載せる」
と主張していたからだ。
最終的に『不撓』内では
・ 原本の不備・欠損等により符号が確定しえない指し手には、編者らが妥当であると考える符号を補足し、傍線を付した。
と註釈を入れた上で、成不成の符号をいれている。
この2人の見解の相違は「記録を扱うにあたって何がより確からしいか」に対する考え方の違いであって、どちらかが間違ってるというわけではない。
ただし、記録をどう整理するかを考えるのは、大事な所である。
別のプロスポーツで実際にあったケースを挙げながら、今回考えてみたいと思う。
記録を大事にしているスポーツのひとつが、プロ野球だ。
そのプロ野球で、「投手のシーズン最多勝利記録」が問題になったことがある。
スタルヒンが1939年に42勝の最多勝記録を作ったのだが、戦後記録の見直しをした際、当時の記録員の認定におかしい所があるとして、2勝減らし、40勝と記録を一度修正した。
戦後しばらくはこの40勝が最多勝利として認定されていたのであるが、1961年に稲尾和久が42勝を達成し、当時の新記録を達成。その際、スタルヒンの記録が改めて議論となった。
最終的には
「あとから見ておかしなものでも当時の記録員の判断に従うべき」
というコミッショナー裁定が下り、スタルヒンと稲尾和久の42勝が最多勝利数タイ記録と認定されて、現在に至っている。
参考:ウィキペディア
ヴィクトル・スタルヒン#1939年の勝利数について
この件は、記録に対する考え方の違いからきた問題である。
パ・リーグの記録部長だった山内以九士は、
「過去から現在を通じて記録としておかしくないものを整理するべき」
と考えて修正をした。
コミッショナーの内村祐之は、
「あくまで当時の記録を尊重すべき」
と考えて裁定を下した。
どちらも間違ったものではないが、記録の一貫性を保つためには、判断をださなくてはならない。
結果的に野球では、今では間違った記録の付け方をしていた場合でも、当時付けられた記録を基に記録を整理している。
将棋の記録で言えば、私の立場は内村祐之で、けんゆうさんの立場は山内以九士ということになる。
これが野球なら私の立場が通るのであるが、
・将棋は野球ではない
・スコアブックは残っているが、棋譜の記録は消失しており原本が確認できない
・将棋の記録の取り扱いに対して、公式見解が出ていない
といった理由により、そのまま将棋に援用してしまうことはできないとは思っている。
けんゆうさんとの間で議論となっている事は他にもあるのだが、すべてこうした記録に対する考え方の違いからきている。
例えば、『日東新聞』が主催した「新鋭棋士若獅子杯爭奪戦」という棋戦がある。
※日東新聞の観戦記情報は
こちらから。
奨励会員とC級棋士の対抗戦なのだが、この棋戦を公式戦として取り扱うかどうかで、私とけんゆうさんでは見解が分かれている。
「当時の『近代将棋』や『文藝春秋』ではこの将棋が他の棋戦と同様に扱われており、山田道美九段が付けた日記で成績に算入されてもいるので、公式戦である」
とするのが私の立場で、
「プロの棋戦に奨励会員が混ざるのではなく、四段と奨励会員が対局する棋戦であるので、今の目線で見ると公式戦ではない」
とするのがけんゆうさんの立場である。
より確からしい記録に対するふたりの解釈が異なっており、ふたりの間では解決する問題ではない。
また、当時の日本将棋連盟はタイトル戦を”公式戦”、それ以外の新聞棋戦を"自由棋戦"としており、今の公式戦の定義とは違っているため、すんなりと解決もできない。
(なお、当時の自由棋戦は、現在では公式戦として取り扱われている将棋が"ほとんど"である)
公式見解がない以上、これからもふたりの間でこの議論は平行線であろう。
ただし、議論をすることそのものは有意義であるとも思っている。
将棋の記録に興味を持たれる方は、将棋の記録をどう取り扱うのがより確からしいか、一度考えてみるのはいかがだろうか
余談
ちなみに、イベント中に質問があった「記録係が正確に時間を記録していないかもしれない問題」については、『将棋名人戦全集』で見解が出ている。
『将棋名人戦全集』編集にあたって
⦿指し手の下の洋数字はその一手に消費した時間(分)ですが、そろばんをいれて合計した数が一局の総消費時間と合致しない棋譜が、ときたまあります。修正してつじつまを合わせることはかえって不正確となるので、そのままにしました。
『不撓』の掲載譜についても、消費時間と総消費時間が合わない観戦記については、同じ方針で棋譜を掲載している。
このポリシーに則れば、棋譜の符号も修正するのはかえって不正確になるのではないか、と考えるのが私の立場である(異論は認める)。