前回の記事で東西対抗勝継戦の優勝履歴を上げたが、その後第3回、第4回、第11回に優勝漏れがあった事と、大山名人にも優勝歴があること、1951年夏からの東西対抗勝継戦の連勝履歴を将棋世界・将棋年鑑・大阪新聞等でチェックしたので、「東西対抗勝継戦優勝履歴ブラッシュアップ版」として改めて公開したい。
2018/10/19追記
第5回の本間爽悦八段の5連勝、第11回の加藤一二三九段の6連勝が漏れていたので追加
| 棋士 |
回数 |
連勝数 |
公式サイトDB優勝履歴 |
補記 |
46.47年将棋年鑑記述 |
| 松田茂行 |
03回 |
5連勝 |
その他優勝3回 |
旧回数 |
受賞3回 |
| 廣津久雄 |
03回 |
6連勝 |
その他優勝2回 |
旧回数 |
6人抜き |
| 升田幸三 |
04回 |
7連勝 |
その他優勝2回 |
旧回数 |
|
| 松下力 |
04回 |
12連勝 |
東西対抗勝継戦優勝 |
旧回数 |
12人抜き |
| 高島一岐代 |
03回 |
5連勝 |
その他優勝1回 |
|
|
| 熊谷達人 |
04回 |
5連勝 |
1954年度優勝なし |
|
6人抜き |
| 大山康晴 |
04回 |
5連勝 |
その他優勝9回 |
特別模範勝抜戦連勝 |
受賞4回 |
| 本間爽悦 |
05回 |
5連勝 |
1955年度優勝なし |
|
5人抜き |
| 松田茂役 |
05回 |
9連勝 |
その他優勝3回 |
連勝2度目 |
9人抜きなど受賞3回 |
| 宮坂幸雄 |
06回 |
5連勝 |
東西対抗勝継戦優勝 |
|
5人抜き |
| 大友昇 |
06回 |
14連勝 |
東西対抗勝継戦優勝 |
|
14連勝 |
| 丸田祐三 |
08回 |
5連勝 |
その他優勝1回 |
|
5人抜き1回 |
| 有吉道夫 |
10回 |
5連勝 |
1960年度優勝なし |
|
受賞2回 |
| 剱持松二 |
11回 |
6連勝 |
1961年度優勝なし |
|
6人抜き |
| 加藤一二三 |
11回 |
6連勝 |
その他優勝1回 |
|
受賞2回 |
| 廣津久雄 |
11回 |
6連勝 |
その他優勝2回 |
連勝2度目 |
6人抜き |
| 宮坂幸雄 |
12回 |
6連勝 |
東西対抗勝継戦優勝 |
|
6人抜き |
| 山田道美 |
12回 |
8連勝 |
その他優勝2回 |
|
|
| 花村元司 |
13回 |
6連勝 |
その他優勝2回 |
|
受賞4回 |
| 木村義徳 |
14回 |
7連勝 |
東西対抗勝継戦優勝 |
|
7人抜き |
| 佐伯昌優 |
14回 |
5連勝 |
東西対抗勝継戦優勝 |
|
6人抜き |
| 佐瀬勇次 |
14回 |
5連勝 |
1964年度優勝なし |
|
5人抜き |
| 松田茂役 |
14回 |
6連勝 |
その他優勝3回 |
連勝3度目 |
受賞3回 |
| 加藤一二三 |
14回 |
5連勝 |
その他優勝1回 |
|
受賞2回 |
| 米長邦雄 |
15回 |
6連勝 |
1965年度優勝なし |
|
6人抜き |
| 内藤國雄 |
15回 |
15連勝 |
東西対抗勝継戦10勝以上 |
|
15連勝 |
| 二上達也 |
15回 |
7連勝 |
その他優勝2回 |
|
受賞1回 |
| 賀集正三 |
16回 |
5連勝 |
東西対抗勝継戦優勝 |
|
5人抜き |
| 西村一義 |
16回 |
11連勝 |
東西対抗勝継戦優勝 |
1966年度に2度優勝 |
11人抜き |
| 山田道美 |
16回 |
5連勝 |
その他優勝2回 |
連勝2度目 |
|
| 西村一義 |
17回 |
5連勝 |
1967年度優勝なし |
|
5人抜き |
表を見て、東西対抗勝継戦の回数に疑問を持たれた方はいるだろうか。
実は、東西対抗勝継戦は回数が途中から数え直されているのである。
以下将棋世界の新聞棋戦欄より
(旧字は新字に直してます)
将棋世界1951年2月号
・日本最高勝継棋戦
時事新報、大阪新聞共催の日本最高勝継棋戦は…(以下略)
将棋世界1951年9月号
・東西対抗勝継戦
時事新報、大阪新聞共催の東西対抗勝継戦はこの程企画なり開始されることになった
将棋世界1951年12月号
・東西対抗勝継戦
西軍の先鋒をうけて登場した松田(茂)は、東軍の松下、山川、京須、荒巻、大和久の五棋士を撫で斬りにして…(以下略)
将棋世界1952年2月号
・A・B全員の東西対抗戦
(本文略)
将棋世界1952年4月号
・全AB東西対抗勝抜戦
(本文略)
将棋世界1952年10月号
・オールAB東西対抗戦
その後の戦績は、六勝の廣津七段を一蹴して南口八段も好調で
(中略)
これにて第三回は終り第四回戦に入った…(以下略)
将棋世界1952年12月号
・オールAB東西対抗
升田八段は無敵振りを発揮して丸田八段、花村八段、清野七段、塚田八段、五十嵐八段らを撃破し五人抜きの偉功を樹てたが、病気休養のため勇退。(以下略)
将棋世界1953年1月号
・東西、対抗AB戦
(前略)
さきに五人抜きをしたまま神経痛のため休養していた升田八段に敗れ、升田また松下八段に敗れた。
将棋世界1953年4月号
・時事新報、大阪新聞、夕刊フクニチ
AB級勝抜戦を掲載中だが、昨秋升田八段を一蹴した松下八段は
(中略)
松下氏の十人抜き成るや否か同僚間の話題を賑わしている。
とまあこんな感じで、1951年に開始された分が第三回、続いて第四回となっている。
最初の二回が抜けているのだが、これは前身棋戦の日本最高勝継棋戦のうち2回を、後継棋戦として回数を引継いだものと思われる。
(細く棋戦名が変わっているのはこの際あまり気にしない)
ところが、やはり違う棋戦で開催数を重ねてしまうのはおかしかったのか、後に修正される。
将棋世界1955年5月号
・東西対抗勝継戦
第四回東西対抗勝継戦は、花村(勝)丸田戦を以て西軍に凱歌が挙った。五人抜きは熊谷ひとり
(以下略)
この時点で最初の2回を消して、数え直されている。
なお、近代将棋史年表では昭和28年3月に
第四回『東西対抗勝継戦』(大阪新聞、時事新報)で松下力八段が十二人抜き、連勝記録を更新
とあり、これを2回引くと公式発表とは回数が合わないように思えるが、松下八段が登場したのは終盤の第三十六局であるので、公式では12連勝を回を改めた第3回での連勝としてカウントしていると思われる。
ここでは、連勝が達成された時点での公式発表での回数を表に入れることにした。
2018/1/20追記
その後の調査で、松下八段は数え直しの東西対抗勝継戦の第2回で優勝している事が判明した。
公式サイトでの第3回12連勝は誤りである。
なお、連勝履歴は私調べでも集計漏れが多く、かつ、将棋連盟調べでもご覧のように集計漏れが多い。
他のDB作成者らを見ても、勝ち抜き戦優勝に関しては所々漏れがあり、これが完成版と思いたいが、まだ漏れがある可能性が十分に考えられる。
よって、勝ち抜き戦の連勝数及び優勝記録に関して正確な記録をご存知の方は、ご指摘下さい。