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将棋棋士の食事とおやつ出張所

新聞に掲載された最長手数の対局を考える

5月に参加した第5回将棋クイズ王決定戦において、観戦記者の相崎修司さんと議論になりかけた所があった。
昭和44年2月3日のB級1組順位戦、原田泰夫八段―芹沢博文八段戦は389手か390手か、というものだ。

該当箇所は↓から
平成将棋界を振り返る・第5回将棋クイズ王決定戦(3/4)

その場では、司会の松本博文さんに「後で記事に書いてくれ」という話になって終わった。
その後、相崎さんは5月9日に389手ということで記事にされている。

令和初日の衝撃!! 木村一基―菅井竜也戦はいきなり317手の超長手数だった | 観る将棋、読む将棋

もう皆が忘れている頃だとは思うが、諸々落ち着いたので、私も一本書くことにする。
といっても、私の390手の論旨は明瞭だ。
『将棋年鑑昭和四十四年版』に棋譜が載っているからだ。

(『将棋年鑑昭和四十四年版』日本将棋連盟 1969 185pより)

ご覧の通り、390手で芹沢八段が勝っている。
偶数手で終局している理由も書かれており、後手が指した所で判定することになったためと分かる。
”持将棋の規定”では、判定を申し入れるタイミングについては書かれていない。
一分将棋のなか芹沢八段が提案したのが、390手を指了し自分の手番になったタイミングだったのであろう。
というわけで、昭和44年2月3日のB級1組順位戦、原田泰夫八段―芹沢博文八段戦は390手が公式記録である。


…これで話を終わらせてもいいのだが、それでは一本の記事にはならないので「新聞に掲載された最長手数の対局」をここでは考えてみたい。
私が確認している範囲では、新聞掲載譜の最長手数は448手である。
『國民新聞』に1909/10/15より10/22まで掲載された、"名家負退將棋第一回"井上義雄八段対勝浦松之助六段戦(香落)だ。
一部では444手と言われているが、全譜を目視でも確認したので448手で間違いない。

棋譜(shogi.io)

最終譜は以下。
(『國民新聞』1909/10/22より)


6譜掲載のため、1譜85手、2譜79手、3譜83手、4譜89手、5譜71手、6譜41手とハイペースで飛ばしている。
5譜で井上八段自身が講評しているが、持将棋が濃厚になった局面で無理に上手が攻めてしまった結果、それが敗着となって負けてしまった。

ではこれが新聞に掲載された将棋の最長手数なのだろうか。実は、新聞に掲載されなかった分を含めると500手を超えた将棋があった。

六七段戦勝繼大棋戰三十三回
 この將棋は或る意味に於て記録すべき一局なのである。といふのは新聞紙上の手數は半分にも足りず終わつてゐるが、本當は五百手以上も指したといふからである。
 古來こんなに手數の長い將棋は絶對に無い。今まで最も手數の長かつたのが三百何手であるから、それより二百手も長いわけだ。

(『将棋世界』1939年4月号 50p)
というわけで、『都新聞』に1939/2/25より3/8まで10譜掲載された、"第三十三回六、七段勝繼大棋戦"の溝呂木光治七段対梶一郎六段戦(香落)を見てみよう。

棋譜(shogi.io)

最終譜は以下
(『都新聞』1939/3/8より

なお、新聞観戦記上や『将棋世界』等で手数が228手となっているが、9譜終了時点で190手と『都新聞』に記載されており実際190手で、ご覧のように10譜で40手指されているので、新聞掲載分は230手が正しい。
当時は完全にアナログのため、手数が長くなると数え間違いが生じてしまうのはやむを得ないとも思う。
観戦記を読む限りでは230手で終局しているように思えるが、『将棋世界』で書かれている通り、実際には500手以上(相崎さんの『文春オンライン』の記事によれば560手)指されていたとのこと。
棋譜が掲載されていないのであくまで参考記録になるが、確認できている範囲では、実際に指された将棋で一番手数の長い将棋がこちらになる。

以上が、私が確認している範囲での最長手数の新聞掲載譜、及び盤上で一番手数が指された新聞将棋である。
もっと多い手数の将棋を知っている方がいらっしゃれば、教えていただきたい。


羽生善治九段は「令和の将棋界で予想されること」として「カオス」と答えていた。
長手数将棋好きの一人としては、令和初日に出た317手はもちろん、これらの長手数将棋を越える戦いを是非見てみたい。
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自己紹介:
将棋棋士の食事とおやつに関する話だったが、将棋考古学沼ネタもこちらで。

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