4月28日、第2回AbemaTVトーナメントのパブリックビューイングが『みろく庵』にて開催された。
ありがとう、みろく庵! 1日限定復活でのパブリックビューイングにファン大満足
応募した所運良く当選し、もう二度と行けないと思っていた『みろく庵』で、とても楽しい時間を過ごす事ができた。
みんなでワイワイ酒を飲みながらの将棋観戦は始めてであったが、こんなに面白いとは思わなかった。
AbemaTVトーナメントのスピード感のある対局と非常に合っていたと思う。
またこうしたPVがあれば参加したいと思えるイベントで、参加する事ができてとても良かった。
ところで、『みろく庵』に関して心残りだった事がひとつあった。
『みろく庵』が、『龍樹』という中華料理店の出前も担当していた理由が分からないままだった事だ。
閉店が決まってから、今聞かないと謎のままで終わると思い、「今回は聞こう」と思いながら家を出るのだが、何時行っても大混雑で慌ただしく、結局聞くチャンスを逃して閉店を迎えてしまった。
今回を逃すと永久に謎のままに終わってしまうのと、途中で席の移動をした際少し女将さんとやり取りをしたので、そのタイミングで『みろく庵』と『龍樹』の関係について聞いてみた。
「『龍樹』はうちの店だったから」
さっと返されてびっくりしたのだが、以下に『龍樹』出店の経緯をまとめる。
・『みろく庵』だけではお客さんをとても捌ききれなくなって、店を増やそうと考えていた。
・近くで新しくビルが出来て(津田ビルは 1988年3月竣工)、「中華しか出せない」という条件付で地下25坪を紹介された。
・「中華でもなんでもやります!」と言って、中華なんてやった事なかったけど頑張って店を開いた。
・『龍樹』の名前の由来は龍樹菩薩。うちは『観音商事』だから。
長年の謎が解け、とても感激した。
『龍樹』は『みろく庵』の2号店だったから、出前を取る事ができたのである。
今回のイベントを主催したAbemaTVには、イベントはもちろん、こうした将棋めし史において謎のままで終わってしまいかねなかったエピソードを掘り下げられる機会を作っていただいた事にも深く感謝したい。
本当にありがとうございました。
その報告だけで話を終わらせてもいいのだが、もう少しだけ掘り下げたい。
『龍樹』はなぜ中華屋という形でしか出店できなかったのだろうか。
津田ビルの地下1階には、『龍樹』の他に『和歌寿司』という寿司屋と『三條』という麦とろの店があった。
そして手元の資料ではっきり分かるものとして、1977年には現在の津田ビルの場所で『和歌寿司』と『三條』が営業している事が分かる。
ゼンリンの住宅地図渋谷区〔1977〕より
所持資料では1969年の地図(『商工住宅名鑑渋谷区(北部)’69』)でも『三條』があり、
『すし』もある事が分かるのだが、この『すし』が『和歌寿司』なのかははっきりしない。
2019/5/2追記
銀杏記者の指摘があり、1963年から『和歌寿司』は営業しており、1969年の地図における『すし』も『和歌寿司』である可能性が非常に高い事が分かりました。ありがとうございました。
『和歌寿司』と『三條』は津田ビルが建つ前から同じ場所で営業しているので、津田ビルが建った際も地下で営業する約束だったと思われる。
どちらも和食の店であり、残ったテナントに更に和食が入ると、『和歌寿司』『三條』と客層が被ってしまう。
そこで、中華という指定が入ったのではないだろうか。
『龍樹』は2011年1月末に閉店したようで、約13年の営業であった。
将棋連盟への出前では、
・「マーボ定食・シューマイ」の丸山流
・滝誠一郎七段・「五目焼きそば大盛事件」
・塚田泰明九段のチャーハン定跡
等が今でもすぐに思い浮かぶ。
『みろく庵』の長年に亘る将棋界への貢献に改めて感謝して、この項を〆たい。