升田幸三物語の巻末に対局記録がある。
東公平さんが確認出来る限り収録した成績だと思われるのだが、その中に1954/7/16京都新聞北村昌男戦香落がある。
これは将棋世界の対局日誌にも掲載されているのだが、将棋世界上では勝敗が不明である。
(将棋世界1954年9月号の対局日誌より)
というわけで、今回調べてみた。
1954年7月以降の京都新聞(夕刊)の掲載状況は以下である。
選抜花形少年棋士東西対抗勝継戦に混ざって3局対局が掲載されていて、2局が加藤一二三四段の対局、そして残る1局が升田北村戦である。
少し話が逸れるが、この選抜花形少年棋士東西対抗勝継戦というのも要調査案件である。
というのも、有吉道夫名局集には、この棋戦は日東新聞主催とされているからだ。
(有吉道夫名局集「
遊びをともにした若き天才」)
観戦記中では初手合とされており、段位は合わないがこの棋戦のようであり、とするとこの棋戦は日東新聞が主催したものを京都新聞も掲載したのだろうか。
この時期の日東新聞は国会図書館にも東京大学大学院情報学環・附属社会情報研究資料センターにも所蔵がない(そもそも新聞が発行されていたかも不明)ため、細かく確認ができないのが残念な所。
閑話休題。
升田北村戦は升田勝ちであり、対局日誌に掲載されている事、同じ対局日誌に掲載されている大山加藤戦(香落)が公式戦である事を考えると、これは公式戦だと考えられる。
(横着してけんゆうさんのツイートを張り付けます。すいません)
それでは、残りの北村加藤戦、南口加藤戦はどうなるか、という話になる。
まず、北村加藤に関しては公式戦でないと考えられる。
1954/10/24に京都新聞ホールで行われた加藤一二三新四段の昇段披露の場での席上対局であり、持時間も各20分。
途中次の一手問題も行われており、非公式戦の色合いが濃いためである。
一方の南口加藤戦はどうか。
持時間は升田北村戦と同じ各3時間であり、手合も同じ香落。
対局日誌の掲載は……と言いたい所だが、観戦記では対局日がわからない。
京都新聞は奨励会時代から加藤一二三少年の棋譜を積極的に取り上げており、この年も10/24の対局の棋譜が11/3から掲載を始めている(掲載が半年遅れた升田北村戦とは大違い)。
とすると、この対局も年末に指されたものを年始に取り上げたものと考えられる。
ここで問題になるのが、年末の時期の対局日誌があるはずの将棋世界1955年2月号である。
1954/11/21~12/20までの対局日誌が掲載されているはずなのだが、国会図書館所蔵分では抜けており、確認する事ができない。
他の手段で確認した事がないため確証がないのだが、欠落ではなく掲載自体が無かった可能性がある。
8/26追記 関根名人記念館で同号を読んだがやはり対局日誌がなく、この号は対局日誌の掲載自体がないようだ。
この対局が公式戦扱いになっていないのも、1954年度後半の加藤一二三四段の対局日がぐちゃぐちゃなのも、これが原因だとすると理解しやすい。
つまり、後の時代に加藤一二三九段の成績を整理した際、この時期の対局日誌がなかったため、別の資料等を参考にしたが、その時漏れや間違いがあった、という事なのだろうか。
加藤一二三九段に関しては、1955/11/30の静岡新聞対木村義雄名人戦(香落)が対局日誌に掲載されていないのに公式成績に加算されている例があるので、仮に対局日誌に掲載がなかったとしても即非公式戦と断定できず、対局形式等から総合的に判断する必要がある。
であるならば、「同じ主催紙・同じ持時間・同じ手合割」で行われた南口加藤戦も公式戦に参入するのが妥当だと思われるが、いかがだろうか。
色々な方の意見を伺いたい。
参考
新春特別棋戦
南口繁一八段対加藤一二三四段
京都新聞夕刊1955/1/5より1/16まで掲載棋譜
https://shogi.io/kifus/152286