忍者ブログ

将棋棋士の食事とおやつ出張所

山田道美九段の通算成績を考える

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

山田道美九段の通算成績を考える

戦後プロ入りしてタイトルを獲得した棋士のうち、唯一通算成績がまとまっていない棋士がいる。
山田道美九段である。
1953/10/20以前の記録が将棋連盟に残っていないためであるが、二上達也九段の通算成績は記録されている事を考えると、山田九段もなんとか記録をまとめておきたいと思うのは私だけだろうか。
 実は、山田九段の年度別成績は将棋世界1981年12月号で越智信義さんが一度まとめている。

(将棋世界1981年12月号155p 山田道美九段の年表より抜粋)
昭和 年齢 対局数 持将棋
千日手
勝率
25 16 初段 名古屋より上京,奨励会へ初段として入会
26 17 三段 花村元司七段・土居市太郎八段との角落対局
27 18 四段 CⅡ 不明
28 19 不明
29 20 五段 CⅠ 21 14 6 持1 0.690
30 21 六段 BⅡ 26 17 9 0.654
31 22 27 16 11 0.593
32 23 32 19 13 0.593
33 24 32 22 9 千1 0.740
34 25 七段 BⅠ 42 24 15 千3 0.615
35 26 BⅡ 31 17 9 千5 0.653
36 27 BⅠ 35 15 15 千4
持1
0.500
37 28 48 28 16 千4 0.636
38 29 48 26 13 千9 0.666
39 30 八段 A 46 27 11 千8 0.711
40 31 78 43 25 千11 0.641
41 32 59 33 16 千10 0.673
42 33 67 44 18 千5 0.709
43 34 49 30 17 千2 0.638
44 35 50 24 23 千3 0.510
45 36 10 6 4 0.600
701 405 230 持2千65 0.638

 将棋連盟は昭和42年度(1967年)の将棋年鑑発刊以前の記録を整理していないため、41年以前は連盟がまとめたものでない。越智さん自身が編集したものだろうか。
40年度の対局数が1局少いため、対局数と勝敗+千日手+持将棋の数が合わなくなっていたり、棋戦進行表と勝敗が合わなかったりと細かい差異があるのも、その事が原因かと思われる。
紙ベースで管理するとどうしてもミスは出やすいので、ミスがあるのは仕方がない。29年度以降の成績については総対局数が同じ将棋棋士成績DBの成績がより確からしいと思っているので、そちらを採用したい。
 問題は不明となっている27,28年度である。今回はそれをまとめてみようと思う。

 1953/10/20以前については将棋連盟が棋譜を保存していないようなので、日付を含め詳細な記録を追うのが不可能なように思える。
しかし、山田九段についてはある程度追う事が可能だ。

將棋春秋1956年10月号 26p
森健一(引用註・山田道美九段のPN)
棋譜の保存
 それにつけて、思われるのは、亡くなつた棋士が残した棋譜のことである。
 われわれが、棋聖天野宗歩を想う時、伝説や遺文によつてイメージを作る。が、何と云つても、この棋聖の棋聖たるゆえんを知るのは、残された棋譜、すなわち手鑑によつてである。手鑑をひもといて盤に並べてみる時、生きた宗歩の呼吸をじかに感じるのである。
 私は、連盟、あるいは死んだ棋士の関係者にお願いしたい。その棋士の生前の棋譜を出来る限り収録して、残しておいて頂きたいのである、出来たら単行本にして出版すれば理想だが、そうでなくとも複写を二ツ三ツ作つて残して頂きたいのである。
 それを、木村名人や、花田八段のように、棋界の歴史の本流に呼吸した人のみに限らず支流と思われる人にも実行して頂きたい。支流なくして、本流は存在しないからである。
 月日の流れは早い。やがて、一世紀も過ぎ現在が過去になつた時二十一世紀の人は、木村十四世名人を、あるいは花田八段を、あるいは村上八段を知ろうと欲するだろう。その時、残された棋譜がどれ程重要な役目を果すか。想像に難くない
 若手の頃に棋譜の保存の重要性を説いていた山田九段の遺志を継いで、関係者が没後に棋譜集や著作集を出版しているからだ。
 まず、「山田道美将棋著作集 第7巻 日記」(以下日記)から対局を抜き出してみる。
28年度に関しては日記に詳細な記述があるので、まずこちらから。
山田道美将棋著作集 第7巻 日記
28年度
十二月三十日(水曜日)
上京して八ヶ月。其の間十八局指した。王将戦二局、一勝一敗。順位戦八局、七勝一敗。サンデー毎日一局、一勝。日東五局、四勝一敗。九段戦二局、二勝となっている。総計十五勝三敗。
 この内、日記で日付が分からないのは九段戦の2局、順位戦の4回戦。対局日が分かって対局相手が分からないのは6/15と6/22の順位戦と8/23のサンデー毎日である。

 次に、没後まとめられた「将棋精華 九段山田道美手合」(以下将棋精華)という棋譜集を読む。
6/22は津村常吉五段と対局、順位戦4回戦は9/14の鈴木禎一五段戦なのが分かる。
そうなると、残った6/15は佐藤豊四段戦という事になる。
近代将棋1953年9月号の順位戦の星取表を確認すると、確かにこの頃までに佐藤四段との対局は行っているので、6/15は佐藤豊四段戦で確定である。


 次にサンデー毎日の対局であるが、これはサンデー毎日1953/9/20~9/27に倉島竹二郎の観戦記で掲載されている"鳳雛記念將棋"で、7月24日に四段昇段した北村昌男新四段の記念対局であると思われる。
 残る九段戦については1953/10/20以降の対局であるので、将棋世界の対局日誌でチェック可能。1~3月の対局についても同様に将棋世界で補完できるので、28年度は成績がまとめられる。

 次に27年度、具体的には四段昇段した26年10月~28年3月までの成績を考える。
対局日と対局相手が判明しているのは王将戦(山中戦負け)順位戦(2連勝)で、これは大丈夫。
日付が分らないのが将棋世界1952年2月号掲載の対土居市太郎八段角落ち戦。
残る順位戦10戦は不戦敗であるが、その他の棋戦にエントリーされているかをチェックしなくてはいけない。
 まず対土居市太郎八段戦であるが、将棋精華に、日記に載録されていない部分が一部掲載されている。
将棋精華 九段山田道美手合
追憶
 明日は土居先生と、角落で対局が出来る。四段になった記念の対局であるらしい。
 思えば多難な三年であった。
 去年は、暮近く、四ヶ月の間、人に云われぬ苦労もしたし、将棋の上では、年中苦しみ心配した。
 それが、今日、今、昇段祝として、八段の先生と将棋が指せる、幸せの限りである。夢ならば、覚めないようにと思う。

 日付が不明なのであるが、"暮近く、四ヶ月の間、人に云われぬ苦労"とは、1950年の8/28~12/30まで、飯田橋駅の奨学館で物売のアルバイトをした事を示していると思われ、そうなると対局は1951年の間に行われたと思われる。
冒頭に写した年度別成績にも1951年に対局したとあるので、土居市太郎八段戦については1951年10月~12月に行われたようだ(将棋精華の1951年4月対局の記述は、4月当時二段なので誤り)。
年度別成績の花村元司七段との角落戦というのは掲載紙も含め詳細が不明であるが、四段昇段後の土居八段戦が角落なので、あるいは三段時代に角落で戦ったのかもしれない。三段時代だとすると公式戦には含まれない。
2021/11/4追記
花村元司七段との角落戦は、二段当時に『産経新聞』に掲載された(1951年2月19日付より11譜) ものであり、四段昇段以前の将棋であった。

 他の棋戦も確認する。まず当時の三大棋戦のうち対局を行っていない九段戦から。
将棋世界1951年12月号
新聞棋戦の動き
なお、次回の九段は機構が改正され、豫選の組合せもこの程成つたが、B級を四組に分ち、本誌C級1組トーナメント戰の決勝戰に殘つた二名が、B級の資格を特別に與えられ豫選トーナメント形式參加が許されることになつた。
この時期の九段戦はC級参加資格が基本的になく、山田四段もエントリーはされていない。
将棋世界1953年4月号
引續き新年度の豫選を開始する筈で、近く第一回戦の火蓋が切られる見込み
 翌年度の九段戦の予選開始は4月近くまでずれ込んでいて、ここでもエントリーはされていない。つまり、九段戦の不戦敗はない。
他にC級に参加資格があるのは、7月から開始された共同のC級登龍戦と日経の王座戦。
C級登龍戦は将棋世界1952年10月号にトーナメント表があり、山田四段はまだ参加していないため、エントリーされる以前に休場したと思われる。
王座戦については、日本経済新聞1952/10/27に記事がある。


 C級予選のA組の一番上に山田四段の名前がある。
山田四段病気のためこの組だけトーナメントが進行していないが、このまま山田四段を不戦敗にして棋戦を進行したようだ。


 というわけで、26年~28年度の成績をまとめる。

年度 対局日 対局相手 段位 勝敗 手番 手数 期数 棋戦名 詳細1 掲載
1951 不明 土居市太郎 八段 下手 153 将棋世界 お好み対局 将棋世界
1952 1952/05/12 山中和正 六段 102 第02期 王将戦 1次予選
1952 1952/07/18 佐藤豊 四段 第07期 順位戦 1回戦
1952 1952/08/30 西本馨 四段 第07期 順位戦 2回戦
1952 不明 佐藤豊 四段 第01期 王座戦 1次予選
1952 不明 増田敏二 五段 第07期 順位戦 不明
1952 不明 角田三男 五段 第07期 順位戦 不明
1952 不明 浅沼一 四段 第07期 順位戦 不明
1952 不明 木川貴一 四段 第07期 順位戦 不明
1952 不明 畝美代吉 六段 第07期 順位戦 不明
1952 不明 野村慶虎 六段 第07期 順位戦 不明
1952 不明 橋本三治 四段 第07期 順位戦 不明
1952 不明 津村常吉 四段 第07期 順位戦 不明
1952 不明 鈴木禎一 五段 第07期 順位戦 不明
1952 不明 平野広吉 五段 第07期 順位戦 不明
1953 1953/06/02 平野広吉 五段 第03期 王将戦 1次予選
1953 1953/06/08 萩原淳 八段 第03期 王将戦 1次予選
1953 1953/06/15 佐藤豊 四段 第08期 順位戦 1回戦
1953 1953/06/22 津村常吉 五段 103 第08期 順位戦 2回戦 将棋精華
1953 1953/07/06 吉田六彦 六段 90 第08期 順位戦 3回戦 将棋精華
1953 1953/08/17 芹沢博文 二段 94 若獅子杯爭奪戦 日東新聞
1953 1953/08/23 北村昌男 四段 157 鳳雛記念將棋 サンデー毎日
1953 1953/09/07 佐藤庄平 三段 96 若獅子杯爭奪戦 日東新聞
1953 1953/09/11 宮坂幸雄 二段 68 若獅子杯爭奪戦 日東新聞
1953 1953/09/14 鈴木禎一 五段 92 第08期 順位戦 4回戦 将棋精華
1953 1953/09/21 浅沼一 四段 71 第08期 順位戦 5回戦 将棋精華
1953 1953/09/24 佐藤健伍 三段 96 若獅子杯爭奪戦 日東新聞
1953 1953/09/28 平野広吉 五段 第08期 順位戦 6回戦
1953 1953/10/03 畝美与吉 六段 158 第08期 順位戦 7回戦 将棋精華
1953 1953/10/06 大友寛二 二段 131 若獅子杯爭奪戦 日東新聞
1953 1953/11/16 北村昌男 四段 第08期 順位戦 8回戦
1953 1953/12/25 鈴木禎一 五段 第05期 九段戦 1次予選
1953 1953/12/27 木川貴一 五段 第05期 九段戦 1次予選
1953 1954/01/14 北村昌男 四段 第05期 九段戦 1次予選
1953 1954/01/23 野村慶虎 六段 134 第08期 順位戦 9回戦 将棋精華
1953 1954/01/26 西本馨 四段 142 第08期 順位戦 10回戦 将棋精華
1953 1954/01/29 増田敏二 五段 39 第08期 順位戦 11回戦
1953 1954/03/05 五十嵐豊一 八段 114 第04期 東西対抗勝継戦 時事新報


 この結果から、修正した29年度以降の成績表も含めて、年度別成績を改めて算出する。
年度 年齢 対局数 持将棋
千日手
勝率
1951 17 四段 1 0 1 0.000
1952 18 四段 CⅡ 14 2 12 0.142
1953 19 23 18 5 0.782
1954 20 五段 CⅠ 21 14 6 持1 0.690
1955 21 六段 BⅡ 25 16 9 持1 0.654
1956 22 27 16 11 0.593
1957 23 32 19 13 0.593
1958 24 32 22 9 千1 0.740
1959 25 七段 BⅠ 42 24 15 千3 0.615
1960 26 BⅡ 32 18 9 千5 0.653
1961 27 BⅠ 35 15 16 千3
持1
0.500
1962 28 48 28 16 千4 0.636
1963 29 48 25 14 千9 0.666
1964 30 八段 A 46 27 11 千8 0.711
1965 31 78 43 25 千11 0.641
1966 32 59 32 18 千9 0.673
1967 33 67 44 18 千5 0.709
1968 34 49 30 17 千2 0.638
1969 35 50 24 23 千3 0.510
1970 36 10 6 4 0.600
741 423 252 持3千63 0.626
タイトル獲得数
・棋聖 2期(第10期(1967年前期) - 第11期)
合計2回
一般棋戦優勝
・B級選抜トーナメント 1回(第6回(1958年度))
・最強者決定戦 3回(第5回(1965年度)、第7回、第8回)
・高松宮賞争奪戦 1回(第10回(1965年度))
・王座戦 1回(第15回(1967年度))
・日本将棋連盟杯争奪戦 1回(第1回(1968年度))
・東西対抗勝継戦 2回(第12回(1962年度)、第16回)
合計 9回


 この表に誤りがあると思われる方や、土居市太郎八段戦の対局日や出典がなく棋譜が不明分の棋譜など、情報をお持ちの方がいれば連絡を下さい。



参考文献
「将棋精華 九段山田道美手合」 山田道美 山田交友研究グループ 1970
「山田道美将棋著作集 第7巻 日記」山田道美 大修館書店 1981
将棋世界
1951年12月号
1952年2,10,12月号
1953年4月号
1981年12月号
近代将棋
1952年11,12月号
1953年1,2,3,4,5,9月号
將棋春秋
1956年10月号
サンデー毎日
1953/9/20号,同9/27号
日本経済新聞
1952/10/27付紙面
PR

コメント

プロフィール

HN:
おがちゃん
性別:
男性
自己紹介:
将棋棋士の食事とおやつに関する話だったが、将棋考古学沼ネタもこちらで。

P R