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将棋棋士の食事とおやつ出張所

蛸島彰子女流六段の奨励会成績

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蛸島彰子女流六段の奨励会成績

4月16日に第6回将棋文化検定のオンライン解答解説会が行われ、Aコースの解説をした浦野真彦八段に『駒我心』について触れていただきました。
購入した上で読んでいただいたということで、この場を借りて御礼申し上げあげます。
ありがとうございました。

クラウドファンディングで作られた本でありますが、LPSAオンラインショッピングで購入可能です。
蛸島彰子女流六段の足跡を辿るということは、女流棋士の歴史、女性と棋士の歴史を辿ることにも繋がっています。
今回初めて出た貴重な話や棋譜などをたくさん収録していますので、一人でも多くの人に読んでいただきたいと思っています。

浦野八段は、奨励会時代の蛸島彰子女流六段について、
「指し分けで昇級なのは甘いという人もいるが、奨励会はなかなか勝てない。半分勝つのは大変で、当時それで初段なのは凄いこと」
と話されていました。
初の女性奨励会員であった蛸島彰子女流六段の成績は、具体的にどうだったのでしょうか。
興味があって調べたのですが、以下の理由で、記録に正確性を欠いています。

・『将棋世界』誌上で星取表が掲載されず、成績が分からない時期がある。
特に、入品の時期の成績が4月4日の例会以外不明なのが惜しいです。
また、1962年3月には6級で指しているようですが、6級に昇級した時期が分かりません。
・全奨励会員の星取表の足し算が合わない場合がママある。
誤植なのか、それとも原本に不備があるのか。現在では確認のしようがありません。
・1963年12月以降は成績だけが掲載されており、星取の詳細が分からない。
また、1965年の7,8月と9,10月は二ヶ月合わせての成績となっています。

記録が不正確なため本には掲載できませんでしたが、良い機会と思いますので、『将棋世界』『近代将棋』『読売新聞』調べの蛸島彰子奨励会員の成績表をまとめたいと思います。


1月 2月 3月 4月 5月 6月 7月 8月 9月 10月 11月 12月
1961年
●○ ●●○
段級
7級
1962年
●○○
○●
●●○
●○
●●●
●○○
(不明) ●持●
●●
●●●
●●
●○●
○○●(昇)
●●○
●○●
○○●
●○○(昇)
●●
●○○
●●●
○●●
段級
(昇級月不明瞭) 6級 5級 4級 3級
1963年
●○●
●●●
●○●
●●○
○(昇)●●
●●
●●●
○●
●○○ ●○(昇)●
●●●
○●●
●●
(不明) ●●●
●●●
○●●
●●●
●●●
●●
0勝3敗
段級
3級 2級 1級
1964年
1勝4敗 0勝3敗 1勝3敗 0勝6敗 0勝6敗 1勝4敗 0勝6敗 1勝5敗 1勝5敗 1勝4敗 1勝3敗 0勝6敗
段級
1級
1965年
(不明) (不明) (不明) (不明) 1勝5敗 0勝5敗 5勝5敗
(2ヶ月分)
2勝10敗
(2ヶ月分)
0勝4敗 1勝5敗
段級
1級
1966年
1勝5敗 0勝6敗 (不明) 3勝1敗 (不明) 休場 休場 休場 以下名前なし
段級
1級 初段
註・星取表を3局で改行しているのはレイアウトの都合です。例会日で分けている訳ではありません。

1965年7・8月は『将棋世界』1966年1月号の成績表で5勝5敗となっていますが、この月の個人成績をすべて足すと97勝92敗で勝ち星が5つ多く、また、5勝5敗の星であれば昇段していることを考えると、5勝に関しては誤記している可能性が高いです。
そんなわけでこの成績表自体の信頼性が低いのですが、5勝5敗や3勝3敗といった指し分けの成績で昇級したことや、1級で大スランプに陥っていたことは分かります。
当時の環境や心境などについては、『駒我心』において、「一人ぼっちの奨励会」として宮田聖子さんが丁寧にまとめられています。
負けても負けても「練習100連敗」という父の言葉を胸に盤に挑み続けた蛸島彰子奨励会員の姿を、当時の写真と合わせてご覧いただければと思います。

購入は↓こちらから
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プロフィール

HN:
おがちゃん
性別:
男性
自己紹介:
将棋棋士の食事とおやつに関する話だったが、将棋考古学沼ネタもこちらで。

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